2012年1月16日月曜日

『百椿図』展/根津美術館観賞記


東京・港区にある根津美術館に行ってきました。目的は、開催中の特別展示『百椿図(ひゃくちんず)』(2012年1月7日から2月12日)。日曜日の午前中に行ったこともあり、東京メトロ表参道駅を降りて、ブティックが建ち並ぶ静かな通りを歩きました。

『百椿図』(紙本着色/17世紀・江戸時代/伝・狩野山楽筆)とは、2巻合計約24メートルの巻物に描かれた100種類以上の椿の絵。皇族をはじめとする公家や大名、歌人、僧侶、儒学者ら49名の作者による和歌や、俳句や、漢詩なども書かれています。2009年から2010年にかけて修理を行ったとのこと。

『百椿図』がどうだったのかの前に、「椿」について。

「椿」という漢字は和語で、椿は『日本書紀』『万葉集』にも登場する花です。「花椿」は春の季語で、「寒椿」は冬の季語。椿は花ごと落ちることが特徴ですが、桜や梅ほどには、歌に詠まれたりすることはなかったようです。日本から西洋に伝わり、西洋の美意識で品種改良が加えられたものが「西洋ツバキ」。フランスの文学者デュマが不動の名声を得た戯曲『椿姫』のヒロインは、ツバキを愛好します。

その椿なのですが、江戸時代はじめの寛永年間(1624年から1644年)を中心に、愛好家ブームが起こります。多彩な園芸品種の誕生が背景にあり、椿を集めた書物や図譜なども制作され、根津美術館所蔵の『百椿図』もそのひとつです。『百椿図』といっしょに展示されていた「序文」(巻物)の記載から、当時、『百椿図』が何点か制作されていたことがわかります。

『百椿図』は、ひと言で表すと、美麗でした。縁取りの部分や、椿とのコラボで描かれている扇子・硯箱・かごなどに金の絵の具がふんだんに使われ、白、赤、ピンク、オレンジなどの色をした椿が次から次へと描かれていました。竹のかごに収められていたり、杯を置くお膳に添えられていたり、ふろしきに束ごと包まれていたり…、当時の人々がどのように椿と接していたのかが伝わってきました。

椿園芸ブームが起こった場所や、流行った場所や、『百椿図』が制作された場所が、江戸なのか、上方なのか、それとも他の場所なのかは分かりませんが、豊臣家が滅んだ大坂夏の陣(1620年)が終わり、ようやく戦乱のない世がやってきて、徳川家による天下統一が着々と進められ、城下町に人がどんどん集まってくるにぎわいのようなものを感じました。椿園芸ブームも、そういった背景の中で、生まれたのでしょうか。

『百椿図』展では、『百椿図』のほかにも、『白備前椿島香炉』(19世紀・江戸時代)、『四季花鳥図屏風』(紙本墨画淡彩/16世紀・室町時代/伝・狩野元信)、『椿蒔絵硯箱』(木胎漆塗/18世紀から19世紀・江戸時代)なども展示され、また、特別出品として、2012年の干支にちなんだ、中国の神話の世界に生まれ、雲を起こし、雨を降らせ、一方では吉祥ともみなされていた龍が描かれた『龍図屏風』(龍虎図屏風のうち)(紙本墨画/16世紀・室町時代/雪村筆)も展示されていました。

これらの展示品が皆、電気のない時代に、太陽・月・星・ろうそくなどを頼りに描かれたと思うと、脱帽するしかありません。

最後に、根津美術館の館内に庭園がありました。池のほとりに茶室が4つあり、そこで実際に、茶の湯・茶会が開かれることがあるようでした。風流や精進、修行などが行われる場所の雰囲気を味わうことができました。



竹内みちまろ


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